(その一)
第67回リガ国際ホメオパシー医学会は少なくとも私個人にとっては大成功であった。海外の多くの方々が、奈良という土地に、奈良ホテルに、そして新公会堂に満足してくれたからである。
そして何よりも日本ホメオパシー医学会の生みの親ともいうべきイギリスはファカルティのボブ・レクリッジ先生とスティーヴン・ケイン先生が来てくれたの がうれしかった。ファカルティのコングレスがパースで開かれたのはいつのことだったか記憶が定かではないが、私たちに最初に会ってくれたのがこのお二人 だったのだ。
気功好きのスペインのカルロスさんも満足してくれたにちがいない。奈良の大会では、太極拳の表演をするように私にすすめてくれたのがカルロスさんだっ た。人前で太極拳を演ずるなんて大嫌いな私ではあるが、6年も先のことだから、あぁ、いいですよと軽くお引き受けしたものだ。
ところが、そのことをわが病院の職員食堂で、いつも晩酌の際、口走ったのを聞いた栄養科のA科長が、太極拳もいいけれど、そのお腹では恥しい、これから当分は朝食は抜きにしましょうと言って、朝食は一杯の昆布茶と一杯のコーヒーだけにされてしまったのである。
爾来、現在までこれは続いているが、お腹が小さくなる気配はまったくない。夕食は最後の晩餐とばかりに、たらふく食っているのだから当然とえば当然で、もともと朝食はどうでもよかったのである。
そのカルロスさんの発言が微妙に変化して来る。大会開催中、毎朝、気功教室を開いてくれと言うのである。お安い御用だ。太極拳の表演よりはずっとストレスが少ない。
毎朝8時30分から、場所は新公会堂の庭を隔てた森の中で練功はおこなわれた。ホスト側として、帯津三敬塾クリニックのY看護師長とA看護師が手伝ってくれた。そして通訳は最初の日が板村論子先生、以降は原田美佳子先生が、その労をとってくれた。
(その二)
カルロスさんのほかに、イタリアのレンゾウさん、オーストリアのトーマスさん、スイス美人のフランシスカさん、それに名前を失念してしまったがアメリカ の代表などが熱心に参加してくれた。それに私の空手着姿がよほど珍しかったのか、しきりに記念撮影と相成ったのも親善の一助となったかもしれない。
さらに人気の高かったのが、私の紋付袴といった和装の礼服であった。海外からの人々を歓迎するためにも、そのくらいのことはしなければと思ってのことであったが、自分一人では着衣できないのが難点で、今回もA師長に面倒をかけてしまった。
紋付袴を着たのはウエルカムパーティとさよならパーティーの二回だけだったが、何方の発案か知らないが、さよならパーティーにおける雅楽は上上だった。 特に舞がすばらしかった。神が乗り移ったかと見紛ふくらい、一分の隙もないのである。こんな動きをまのあたりにするのは久し振りのことである。
奈良ホテルの朝食もよかった。茶粥定食にはよく冷えた生ビールがよく似合う。一夕、来賓の渥美和彦先生と盃を交わした際、
「あんた、毎朝飲んでいるそうではないか」
「……日曜日は朝から飲むことにしているのです」
「……今日は日曜日ではないぞ!」
それにしても渥美先生の飲みっぷりにはおどろいた。さすがは敬愛して止まない大先輩、死ぬまで酒量を落とさないという私の理想を地で行っている。
ビールといえば、昼食のために入った蕎麦屋さんで生ビールに舌鼓を打っているところえ、オランダの巨漢。やがて彼のテーブルにも生ビールが。互いにジョッキをかかげて、エールを送り合ったものである。